今後の働き方に悩むところがあり2018年頃の秋から2019年の2月頃までコーチングというものを受けていた。
「コーチングとは:対話を通してクライアントが目標達成するプロセスを支援すること。 コーチの質問に答える過程でクライアントは自ら考え、必要な気づきを得て、目標達成に向けて自主的に行動する状態へと促される。 活用シーンとしては、人材育成のほか、組織開発の手段としても注目されている。」参照:https://bizhint.jp/keyword/29985
今回私が受けたコーチングは全6回のコース。そのゴールは「人生の目的」を定め、言語化すること。人生の目的とはすごく高尚な書き方ではある。しかし、コーチングを受ける前にいただいた資料にはこう書かれていた。「私は、人々の喉の乾きを潤すために、いつまでも水が溢れる湖です」。むむ、何やら抽象的ではあるが、このように、人生において何をするのかといった「Doing」ではなく、自分がどうありたいか「Being」を定めるということらしい。そうすることによって、何を行うか(Doing)を悩んだ時の道標になるのだとか。また今回決める人生の目的は日々生きる中で変化していくものなので、それ自体も変わっていても良いのだとか。
そんな私のコーチングも紆余曲折しながらも終了した。さてさて今回のブログでは、コーチングをしてくれたコーチである山本恵果さんのことについて書いてみようと思う。インタビュー形式なのでつらつら書き連ねてはいるが、全国の山本さんファンにはぜひともご拝読いただきたい。
コーチングについて尋ねてみる
今回お話をお聞きしたのは山本恵果さん、京都の行政組織の中で働いている。
早速ですが、コーチングとは何でしょうか
どこから話しましょうか〜…そうですね、まずコーチングの前に人とのコミュニケーションには、「ティーチング」と「コーチング」というコミュニケーションがあります。理想のコミュニケーションのあり方は、コーチングが8割、ティーチング2割なんですが、実際は逆転していると言われています。コーチングはその人の中にある答えを、その人自身の中から引き出すって言うコミュニケーションで、ティーチングは答えをその人に与えるという感じですね。私が習っているコーチング団体にCTIジャパンという団体があり、そこでは「人は創造性と叡智に溢れ、かける所のない存在である」という前提があります。その前提がないと(コーチングをしても)詰問的になってしまうことがあります。自分の中で答えがあってそれに気づきなさいみたいな。なので(CTIのコーチングスタイルは)人のことを全面的に信じて問いを投げかけるのがすばらしいところ。問いかけてみても、何があるか分からないんですよね。ただその中で(問いかけられた人が)何かに気づいていく様を見るのは感動的だなって感じています。
コーチングが8割、ティーチング2割とお話されていましたが、日常的使えるものなのでしょうか
友達同士の相談だと単なる愚痴になってしまったりすることもあるかもしれないじゃないですか。例えば上司の相談をされたとして自分の経験からこうしたらいいよってアドバイスをすることとか。でも本当は上司と一体どういう関係になりたいの?とかその人が持っている答えを引き出していく、本当は対等な関係がいいのかとか、自分の意見を聞いて欲しいかとか、人によってその答えって違うんですよね。その人が本当に望んでいることを質問によって投げかけて、自分はそんなこと望んでいたんだという気づきとして、どう行動するのか、どう行動を起こしていくのかというところまでを手助けするステップなのかなと考えています。ティーチングが悪いわけじゃないけれども、どう組み合わせていくことなのかなと思います。あなたはどうしたいのっていうのもコーチングの問いかけの1つですね。大事なのは今は愚痴ばかり言っているけど何かに気づくはずだという人を信じることなのだと思います。人は才知と創造性に溢れるかけることのない存在なので。
CTIジャパンと他の流派のコーチングの違いってはどこにあるんでしょうか
どこも大体やってることは似ていると思うけど…でも、CTIジャパンはテクニカルな部分もありつつコーチとしてのあり方と言うところも大事にしていて。こうすればうまくいくじゃない、「人を信じる」なんですね。ファシリテーションでも関わるクライアントさんの本当の気持ちとか、そこの源泉の部分をクリアにしていないと場を企画しても望むような結果にならないでしょうし、思いの源泉をしっかり握っておくと言う事はファシリテーションするにおいて、とても大事なことなんだなぁと思って。知り合いのファシリテーターが現場の人たちと仲良くなっていくのは、そんな人の思いの源泉をしっかり握っているからなのかなと見ていて思います。そこを握っているから、その場が意向にそぐわないものにはならない。ファシリテーターがしている事はコーチングに近いものなのかなと思うこともあります。元々ビジネスコーチングをしたいとは思っていなかったからライフコーチングのように、人が人らしく生きるためにはどうしたらいいのか?というところに焦点を当てたかったのでCTIコーチングジャパンを選んだと言うものが背景にあります。CTIジャパンはBeingとDoingの両方兼ね備えたコーチングなんだと思います。
なぜコーチングを始めたのでしょうか
出発点は自分だったのかもしれないけれども、もしかしたら組織的なものもあるかもしれないですね。公務員ってその人らしく生きていない人もいるから(笑) 公務員だけでなく組織で働く人はそうなのかもしれないけど仕事は楽しくなくて当たり前とか、上から言われたことを言われた通りにちゃんとしなくちゃいけないとか、みんな誰かのことをすごく気にしている。じゃぁ自分はどうしたいのかは、あんまりみんな考えてこなかったんじゃないかなと思っていて、誰かに文句を言われないためにとか、みんなそういう意識を持って働いてるし、そうすると自分が本当にやりたいことなんて考えなくなるんですよね。その辺も少し疑問だったのかもしれないですね、言われてみて気づきました。以前、区役所で働いてた時、私がしていた仕事もすごく自由だったので、やりたいことをやりたいようにできた。でも今の仕事はそうでは無い。
何のためにそれをしなければいけないのか全然腑に落ちてない。仕事の話を持ってきた上司に、なぜそれをしなければならないのかを聞いてみてもサラリーマンだから諦めろと言われちゃったりとか…。この組織は何なんだろう…ってすごく感じて…。でもふと気がついたんですよね、私たちは何をやりたいのかを聞かれたことがない。市長が何をしたいとか上のポストの人が何をしたいのかとか議員さんが何をしたいのかとか、そういう所でしか動いてないじゃないかって。いやいや、それは面白くないよね。(笑)
コーチングを始める前から友人と「モテる公務員」という取り組みをしていたんです。役所が変われば社会が変わる。社会の土台は役所のはずだから、役所が良い仕事をしていったら社会はきっと良くなっていくはずだと言う仮説を立てて、どうもトップダウン的な組織的な構造や、役所は失敗してはいけないとか、そういう社会的な構造のなかで,どうやったらモチベーションを上げられるかを考えてきました。そのなかで,私たちは,組織のなかで,自分が何をしていきたいのかを問われていないことに気が付いたんです。
今後コーチングを使って何をしていきたいですか
役所の中で日常的にコーチングができていたらいいなって(今のところ)思います。実は今、組織に提案をしていて、私の勤め先には職員提案制度と言うものがあるんです。その制度で、コーチングは職員のモチベーションを上げるから組織的に導入しませんか?と提案をしています。言うのは簡単だけれども提案される側からするとそんな思いつきでされても知らんがな、言う話になるので、導入するにあたっては本当に良いものなのかとか検証することが必要。なので、そこまでは私がしてみようと思って提案する前に職員の人が30人にコーチングを受けてもらったんです。
そしてアンケートをとってコーチングが「自分の持っている悩みに役立ったか」「仕事の中で役に立ったか」「コーチングをやってみたいと思うか」などなど、そんなアンケートをまとめて提出してみました。まぁまぁ面白くてみんな自分のことを振り返る機会って持っていなかったんです。
自分のことを聞いてもらう機会なって今までなかったって言う感想とか。係長とか課長とかそういう役職は一旦脇に置いておいてあなた自身は一体何をしたいの?と聞いてみたらみんな考えたことがないと。じゃあ、そんな組織って良い組織なのかって思ったらそうじゃないと思う。主体的な職員とか行動的な職員を増やしていきたいのであれば自分の価値観に沿った仕事をみんなができる環境を整えませんかって言う提案をしました。
最近コーチングってこういうことなのかな,って考え方がまとまってきました。働いたり生活していくなかで,自分が何を大切にしたいのか,何をしたいのか,わからなくなったりすることってないですか?そうしたときでも,感じていることや行動していることの根っこには,大切にしている価値観があって,それが今の感情や行動につながっていて。そして,その価値観がどんな形をしているのかを見に行ったり,もっとクリアにしたり,磨いたりするのがコーチングなのかな,と。そんな過程のなかで,自分の新しい可能性に気付くきっかけにもつながるんじゃないのかな。
コーチングに向いてる人ってどんな人でしょうか
私自身コーチングにも向いているとか言われると、あんまりむいてないしセンスはないんじゃないか思っていて。(笑)
でもあんまりそれって関係ないんじゃないかとも思っていて、同じグループの人と学んで言うと私ほんとに下手やなぁって思うんですけども、上手い下手とかセンスあるなしとか、あるとしてもあんまり関係ないかもって言う感覚もあります。私自身もコーチングを受けているけども、結局のところスキルではなく、器が重要なのだなと思っています。
私のコーチは、トランポリンみたいな大きな器を持っていてその中でポンと投げられて怪我をしないように、ボンボンはねさせられているようなイメージのコーチングを受けている。そうやってコーチのあり方ってスキル以上に大切なものだなぁって感じていて、私がプロのコーチになりたいかと言われると今はそんな事は思っていないんです。クライアントさんと出会うためにコーチングがあったみたいなそんな感覚なんですね。前からなんとなく知ってたけどこんなに深く話をすることもなかったとかそんな人たちと定期的に月に2時間とか話す機会とか話し合う機会とか、コーチングってその人の人生を追体験するとか一緒に味わわせてもらっているとかって言う、同じように味わっているみたいなそんな不思議な感覚になることがあって、自分の仕事しか知らないけども、坂上さんのようにデザインの仕事も知れるし、IT系の仕事とか、仕事とは違うけど、子供を持つお母さんのことも知れるし、私の人生の幅も一緒に広げてもらっている、そんな感覚もあるんですよね。コーチングって誰かと一緒に誰かの人生を一緒に生きているみたいな。関わった人の人生に一緒に生きてるみたいなそんな感覚があります。
最後に、山本さん自身はどう在りたいですか
私の人生の目的が「人の可能性の扉を無邪気に開ける空飛ぶペンギン」(インタビュー時点なので変わっている可能性も)。そんなものを今人生の目的に置いているけれども、人の可能性の扉をコーチングでパーンと開けるってすごいなぁって。言い方は人それぞれなんだけど。そうやってコーチング的な関わり方をしていきたいなと思っています。
人に関わりたいんですよね。何かこう外からじゃなくて中から関わりたいですよね。私がそうだったのかな、自分が組織に属していてイライラしながら働いていることもあって、サラリーマンだから諦めろって言ってくる上司がいたりとか。その時に自分がどういう価値観を大事にしていて、だから腹が立つのかとか。自分が誰かの発言によってこんなに腹を立てることがあるとか、その発言をした人にも価値観があるから発言を引き出されるわけであってその人の価値観はなんだろうって人それぞれの価値観に興味を湧くようになったんです。
人の価値観に気付くと、その人の持つ価値観を踏みにじろうとしないじゃないですか。私はこういう価値観があって、あなたはそういう価値観がある…じゃあどうする?みたいな話ができるじゃないですか。でも今それうまく話されてなくて、お互いが嫌な気分になる感覚があるんです。そこを認識するためのスキルがコーチングなのかなって。最近面白い感覚があって、人の発言から人の価値観が見えてくるんです。その人の発言が組織の中でこう評価される、だからこういう発言になるよねって客観的に見えて冷静になれるんですよね。じゃあそれはその価値観として仕方がないとして、どういうところなら折り合えるのかというところを考えて、近しい価値観に寄せて話してみるんです。
自分のコミニケーションの仕方もすごく変わるんですよね。単に価値観の押し付け合いをしていたところからどう折り合いをつけるかと言う思考が変わるって言う。自分の価値観を大切にしているように、どんな人も自分の価値観を大切にしているんじゃないですか。みんなが自分の価値観をちゃんと握っていて、人の価値観にも興味を持って素行ちゃんと尊重しあえるコミニケーションができたらきっと社会は平和になるやろみたいな。争い事とか小さなイザコザとかなくなるんじゃないかな。
だからみんなが身に付けておけば良いスキルだなぁと思っています。プロになるならないというのは置いておいて。空飛ぶペンギンと言う人生の目的もそこなんじゃないかなと思っていて、私はコーチングがそんなにうまいわけじゃないそんなにセンスがあるわけでは無いけども、空を飛べないペンギンもコーチングを身につけることができますよ、みたいな、(コーチング身につけたら)空飛べますよみたいな。そんな風に思っています。